大阪府内の病院に入院していた京都アニメーション放火事件の容疑者が、先日、京都市内の病院に転院したというニュースを聞いた。命に別条のない状態まで回復したための転院だという。
まず、一時は命が危険な状態にまで陥ったこの容疑者を回復させた医療チームの素晴らしい仕事に感銘を受けるとともに、容疑者の発した「こんなに優しくされたことはなかった」という言葉に、彼ら医療チームが行った結果のすべてが凝縮されていると感じる。
医師、看護師、薬剤師、リハビリに携わる療法士、栄養士など、そのすべてがチームとなって彼を救ったのである。
STD Dr. Yoshiも、そのような「命を救う」病院にいたことがある。そこではどのようなことが行われているのか、経験したことのある者だけが知る過酷な労働実態がある。
大阪府内の病院は急性期医療を施す、いわゆる「命を救う」病院。昼夜を問わず、命のために一刻を争うような病状の患者が次から次へとやってくる野戦病院のようなところであろうと想像できる。彼以外にも重症の患者が次から次へと運びこまれ、同時に複数の重症患者を受け持つことになれば、感情が入り込む余地などはなく、ただ目の前にいる重症患者を救うことに集中していたのかもしれない。彼が重大事件の容疑者であろうがなかろうが、ひとりの重症熱傷患者として死力を尽くして医療を施したのであろう。
医師は、医学部に入学すると「ヒポクラテスの誓い」を学ぶ。ヒポクラテスは古代ギリシアの医者で、医学を原始的な迷信や呪術から切り離し、臨床と経験を重んじる経験科学へと発展させた。
「ヒポクラテスの誓い」~抜粋~
- 自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
- 依頼されても人を殺す薬を与えない。
- 生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。
- どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
- 医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。
《ナイチンゲール誓詞》
われは此処(ここ)に集いたる人々の前に厳(おごそ)かに神に誓わん。
わが生涯を清く過ごし、わが任務(つとめ)を忠実に尽くさんことを。
われは総(すべ)て毒あるもの、害あるものを絶(た)ち、悪しき薬を用いることなく又知りつつこれをすすめざるべし。
われはわが力の限りわが任務(つとめ)の標準(しるし)を高くせんことを努(つと)むべし。
わが任務(つとめ)にあたりて、取り扱えたる人々の私事(しじ)のすべて、わが知り得たる一家の内事(ないじ)のすべて、われは人に洩(も)らさざるべし。
われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧(ささ)げん。
容疑者がここまで回復したのは、彼の治療に携わった医療チームが「ヒポクラテスの誓い」、「ナイチンゲール誓詞」に則った医療を実践した結果であろう。
容疑者の「こんなに優しくされたことはなかった」は、医療者側が彼だけを特別扱いしたわけでもなく、平等に医療を施した結果だと想像できるが、今まで彼の人生に関わってきた人々が優しさを持っていなかったのか、あるいは、何らかの原因で人間不信に陥った容疑者が他人の優しさを感じ取れない精神状態になってしまっていたというのであろうか。
いずれにしても今回の献身的な集中治療により、彼の心に変化が起きたことは事実であるし、人間らしい心を取り戻して自分が起こした事件と向き合って欲しいと願うのみである。